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本当の自分とつながりたい、自分のために生きたい、あなたへ。生きづらさと「スキーマ療法」①

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はじめに(読者の皆様へ:自己探求の前に必ずお読みください)

※本記事には、読者の方にとって精神的な負担となる可能性のある内容(心の病、自殺念慮、激しい感情の吐露など)が含まれていますので、精神的に不安定な方は閲覧をお控えください。本記事を読み進める中で、辛いと感じられた場合は、無理をなさらず、いつでも読むのをやめてください。

※本記事は、筆者自身の個人的な体験を綴ったものです。これはあくまで私個人の、極めて特殊なケースです。家庭での教えや価値観が多くの人の心の支えとなり、人生の指針となっていることを、私は心から理解し、尊重しています。この記事が、特定の家庭の教えや価値観を否定したり、価値観を押し付けたりする意図を持たないこと、価値観が個人の内面に生み出す普遍的な葛藤を描いたものであることをどうかご理解ください。

※この記事で紹介する心理療法は自己実践する際は、細心の注意が必要です。特に過去の強烈なトラウマや、精神的な不安定さを抱えている方、解離症状を伴う場合は自己判断で実践することは、心の状態を悪化させる危険を伴います。 再トラウマ化とは、過去のつらい記憶に不用意に触れることで、当時の激しい感情や身体感覚が再び蘇り、症状を悪化させてしまうことです。 必ず、信頼できる専門家(臨床心理士や精神科医など)に相談することを強く推奨します。

※この記事は、特定の疾患の診断や治療法を提供・指導するものではありません。また、医療行為や自己治療を推奨するものではありません。あくまで、生きづらさの根本的な理解を深めるための情報提供を目的としています。あくまで筆者の個人的な解釈と経験を共有するものです。また、筆者個人の体験であり、当自助会の公式な方針ではありません

本記事は2万文字を超える長文です。心を整えて、休憩を挟みながら、ご自身のペースでゆっくりとお読みください。

「なぜ、こんなにも生きづらいのだろう?」

誰もが一度は抱く、この問い。この記事が、あなたの心の奥にある「なぜ?」という疑問に気づいて、スキーマという概念を通して、自分自身の道を見つけるきっかけとなること、それが、私がこの記事に込めた最大の願いです。

スキーマ療法は、あなたを救う唯一の道ではありません。それぞれの生きづらさには、それぞれの道があります。この記事を読んだことで、心の仕組みに気づき、日々の行動を少し変えるヒントが得られたなら、それ以上のことはありません。重い精神的な負担を伴う本格的な治療を、全ての方が選ぶ必要はないと私は思っています。自分の「心の地図」を見つける道に、必ずしもスキーマ療法という手段が必要ではないからです。

始まりの青

※この文章に登場する「あなた」は、時に私自身、時に私にきっかけをくれた誰か、時に私を包み込んでくれた誰か、時に暖かい光のような誰か、そして、今これを読まれているあなたです。

あなたは、本当の自分のために生きていますか?

私の答えはいいえでした。自分という「色」を無くし、生きづらさを抱えていた、私が自分だけの「色」を取り戻すまでの物語です。生きづらさからの抜け道は、一人ひとり違います。あなたの道は、きっと私とは違うでしょう。それでも、この物語が、あなたの生きづらさを和らげ、本当の自分として生きるための、一つのきっかけになれば幸いです。

負け犬でもいいからこの檻から出たい

心の自己破産

心の罪

私は、家族から教わった考えや価値観の中で育ってきました。幼い頃から「幸せな人生を送るためには、何事においても感謝をし、常に物事の側面を肯定的に捉え、努力を惜しまなければ、どんな困難でも乗り越えられる」と教えられました。また、「人の本質は本来優しさを持つもので、どんな人にも必ず良い部分がある」「思いは必ず届く。諦めなければ願いは叶う」という教えもありました。その教えは、私の心の奥底に深く根付いていました。私はただひたすらに、その教えを忠実に守ろうとしていました。

「人の本質は、本来優しさを持つもので、どんな人にも必ず良い部分がある」という教えで私は、誰もが心を通わせられると信じて生きてきました。

どんな人にも必ず良心がある、今の自分の置かれている状況やその人の良い面だけを肯定的に見るようと教えられました。それ故、どんな人との関係も私が努力して歩み寄れば、うまくやっていくことができると信じていました。

いつか相手も私の努力を理解し、歩み寄ってくれるかもしれないという思いを抱いていました。人間は素晴らしい存在であり、どんな人にも良心がある。素晴らしい人間同士なのだから分かり合える。相手には何か理由があるに違いない。私が変われば、相手も変わるかもしれないと。どんな困難な人間関係に直面してもそう信じ、苦しみながらも関係を維持しようともがいていました。

どんな人に対しても、最初から悪意や偏見を持たずに接することができたように思います。また、幼少期において自分には価値があると信じることができました。この教えは、私の心を守ってくれていいました。

家庭の教えや価値観が多くの人にとって、心の支えや人生の道しるべになっていることを私もよく理解し、尊重しています。実際に、その教えのおかげで困難を乗り越えられた人もたくさんいるでしょう。ただ、私にとってはその教えが生きづらさの原因となりました。どんなにその教えに従おうとしても、どうしても乗り越えられない苦しみがあることを、私は知ってしまったのです。

教えの中での理想の自分と現実世界での本当の自分との乖離にもがき苦しみ、「教えを守ること」が幸せにつながると信じていました。現実の私は不完全でした。周囲の期待に応えられず、社会に出るたび、その不完全さはより顕著になり、私は教えと現実の自分とのギャップに、引き裂かれるような痛みを感じていました。

私を救うはずの教えが、なぜ私を苦しめるのかという深い葛藤に直面しました。それこそが私にとっての心の罪でした。教えに反する自分を責め続けるうちに、どんどん、心の借金が膨らんでいきました。そして、その心の借金はいつか返済を求められます。

神様答えてくれよ

心の天秤(教えと現実の狭間で)

いつしか「今が楽しい」という他者の声を聞くと胸が苦しくなり、心の奥底で「こんなにも教えを守っているのに、『いつから私は幸せを感じられなくなったのだろう?』」という声が湧き上がるようになりました。まるで、幸せを閉じ込められた状態にいるかのようでした。そうしてこれまで信んじていた家庭での教えに矛盾を感じ、無理が来て、いよいよどうにかしなければいけなくなり、自分と向き合わざるを得なくなりました。

そんな中で、私は、家族の関係で毎週、病院に面会に行くことがありました。病院の中では、なしかしらの病気を抱えた方と出会い、待合などでお話することがありました。

今でも忘れられません。病院で仲良くなったある女性から「姉の癌はどうしたら治ると思う?」、盲目の女性から「職場に好きな人がいるの。その人とどうすれば結ばれると思う?」と個人的に相談受けたことがあります。藁にもすがるようなその問いかけに対して何も言葉を返すことができませんでした。「努力すれば道は開ける」「思いはきっと届く」と信じていました。この問いは、教えが持つ限界を私に突きつけました。

そのことを家族にも相談しました。「どうにもならないことがある」と伝えられした。その言葉を聞いた時、どんなに感謝をしても、どんなに努力しても、どんなに信じても、どうすることもできない現実の不条理があるのだと。

私の心に深く根付いていた教えが少しずつ音を立てて崩れ始め、私の進む道が変わったように思います。「なぜ世界はこれほどまでに不条理に満ちているのか」という根源的 な問いが私の心に深く突き刺さりました。

目覚めない心

下山(失った羅針盤)

先が見えない、答えが分らない、もがきながら彷徨っていました。この環境から離れたくても、離れる術を知りませんでした。空の飛べない、羽のない背中で。翼が欲しかった。

そんな葛藤の中で出会ったのが、聡明な導き手でした。私が教えを辞めるべきか悩んでいると打ち明けると、聡明な導き手は「私とあなたで、細かい違いはあれど、人生をよりよくしたい、目指している所は一緒だと思う。どの登山口から始めるか、どの山道を通るかが違う。もし矛盾や違和感を感じるなら、時には山を降りる勇気も必要かもしれない。足りないものは自分で新しく補っていくのがいいと思う。」と言ってくださいました。その言葉に後押しされ、私は長年歩んできたその山から降りました。

「『思いは必ず届く。諦めなければ願いは叶う』という言葉は、あなたを前に進ませるための、強力な魔法のようなものです。すごく力になるし、信じることで頑張れる。でも、魔法にも限界があると思います。例えば、どんなに願っても空は飛べないし、他の人の心はわからない。だから、この言葉を信じることは、生きる上での強さになる。でも、もしその魔法が効かない場面に出会ったとしても、それはあなたが弱いわけじゃない。」

「私の家の場合は設定が良かった面があります。言うことがころころ変わる、後付け設定で、何事もやってみないと分からない、とにかくやってみよう、やってからまた考えようという家だったんです。」この言葉に、私は衝撃を受けました。後付け設定というまるでシステムのように語る、現実的な姿勢に、ふっと気が抜けた部分もありました。

かつての私を守ってくれていた教えを手放しました。それは、決して教えを否定することではなく、私を守るための役割を終えたことへの感謝でした。ただそれは、絶対的な真理という羅針盤を失い、自らの足で歩き始める、出発点でもありました。

神様は知らない

現実の世界には私が信じてきた「良心」だけでは測れない悪意が感じられ、私には、いい人の仮面をかぶっているように見え、自分の欲求を満たすために他人を攻撃しているように感じられる人もいました。「人間は素晴らしい存在であり、どんな人にも良心がある。素晴らしい人間同士なのだから分かり合える」という眼鏡(フィルター)を通して世界や人を見ていました。まるで、永遠に覚めない夢を見ているようでした。

絶対的な教えの不在によって私の中で混沌とした世界が生まれました。教えを信じていた頃も、辞めた後も、世界そのものは何も変わっていないのかもしれません。それでも、私を支えていた根源的な安心感が失われ、世界はまるで別の場所に変わってしまったように感じられました。世界があんなにも色に満ちていたのに。

人間というものを考えてしまいます。一体誰が安全な人なのか、何を信じ、何を拠り所にして生きていけばいいのかさえ分からなくなりました。周囲の期待に応えようと自分を合わせていくうちに、いつの間にか、自分自身の感覚を押し殺してしまっていました。

本当は、心に刻まれる痛みに気づいていたはずなのに、目をそらし続けました。それが、自分を裏切るということだと知っていたのに。

色が無くなった世界(無色透明な私)

私は私を赦さない

届かない犬の鳴き声

私自身、生まれてきた意味や自分の本当の価値を探していました。そして、納得のいく形を求めていました。世の中には、「これをすれば幸せになれる」「この道が救いにつながる」といった、方法論や導きが溢れていました。約束された幸せや救いなど本当にあるのでしょうか。

私の中には発達障害やトラウマという苦悩も一緒に同居していました。私は、そんな自分を許せませんでした。社会が求める自分にもなれない。発達障害がある不完全な自分が、どうしても許せなかった、ずっと許せなかった。私は、私の中のあなたが嫌いだった。

私の罪を裁く法律はなく、その罪を受け入れることができなかったのです。私には、このハンディキャップを受け入れるには長い時間が必要でした。

病気や障害について、話せる人がいない、誰にも言えない、そんな孤独を抱えていました。皆と違っていいはずなのに、みんなと同じものを求められました。

社会の中で、ある役割がいつの間にか付与され、「役回り」が当たり前になり、周りの期待に応えようとその役を演じていく中で、その役割と本当の自分との間に乖離が生まれ、それも、生きづらさにつながりました。

社会の一般常識や、家庭や会社などの様々な枠があります。例えば、周りはみんな猫で、私は犬。当たり前のことですが、猫の集団の中で犬が「ワン」と鳴けば怒られてしまう。だから「ニャー」と鳴こうと必死に努力するも、うまく鳴くことができない。自分という声が、いつの間にか、風に消され、誰にも届かない、音のない叫びとなりました。少しずつ心が色褪せていき、まるで自分の「色」が失われていくようでした。「無色透明」な私が、そこにいるような気がしました。

なぜ、みんなはこんなにも簡単に「ニャー」と鳴けるのだろう。どうして自分は、こんなにも不器用に「ワン」としか鳴けないのだろう。犬である自分を深く責めていました。

もしかしたら、私は、人間ですらなく、誰の目にも見えない、「無色透明」な人間なのかもしれません。

「僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい」
「そっくりにできてるもんで よく間違われるのです」
「僕も人間でいいんですか? ねぇ誰か答えてよ」
「見よう見まねで生きている 僕を許してくれますか」
「RADWIMPS 『棒人間』」  CD「人間開花」より引用

透明人間 / 透明な痛み

生きづらさの正体を知りたくて、 私は、複数の行政機関を訪ねたことがあります。
そこで言われたのは「何に困っているんですか?」、「そんな風に見えないですね」「知りませんでした。勉強になります」という言葉でした。相手に悪気がないことはわかっていました。ましてや脳の中身を開けて見るわけにもいかないですし、具体的な数値があるわけでもありません。そこで、見えない苦しさを知る難しさを痛感しました。

また、発達障害はここ最近知られてきた言葉で、その当時はケースが少ないので、社会全体の認知が進んでいない側面もありました。その方も、どう対応していいかわからなかったのかもしれません。しかし、私は、自分がどこへ行っても理解されないのではないかと、心にガラスの破片がつきささり、その痛みは心に「透明」な壁を作りました。街の喧騒も誰かの言葉も、私には届きませんでした。まるで、音のない街で、一人で生きているような感覚でした。

「もう疲れてしまった。誰にも頼れない。ダメだ。」と。それにより孤独を感じ、深く傷ついていきました。

心の奥底に沈んだ重く水のような悲しみ

透明な顔

仕事も続かない、将来どうしたらいいのかもわからない。自責、不安、混乱、嫌気など苦悩の色彩が、私の心を深く沈み込ませていました。色の無くなった世界はすべてが灰色に見えました。街の景色、空や海でさえ。

答えのない問を毎日のようにただ延々と一人きりで抱え、私の心は深く沈み込んでいきました。まるで「透明」な血を流しているように、心は奥底で重く沈み、再び浮き上がることはできませんでした。

それは、ただ毎日を生きることが、砂を噛むような孤独な時間でした。「自分は劣っている。自分は生きる価値がない」と自分を責め続けました。「こんなはずじゃない。もっと違う今日があったのに。明日になれば変わるかもしれない。」と自分を恨みました。誰も知りえない心の傷となり、癒えずに傷跡だけが私の中に残りました。そして、傷跡を隠して彷徨っていました。

発達障害の特性を無くすことは難しく、社会に適応していくために、このハンディキャップを補うことに必死にもがいていました。

人間関係をなんとか維持しようと、相手の考えを過剰に読み取り、それに合わせて自分を偽っていました。 嫌われないように、否定されないようにと自分を偽り、望ましい方向に演技をします。今自分がいったい、どんな顔をしているのかわからなくなりました。いつの間にか、誰かに顔を盗まれてしまったようでした。「透明」になった顔に違う誰かの顔を貼り付けて過ごすようになりました。平然としながらも、白鳥のように、目に見えない水面下で必死に足をもがいていました。周りに良く思われることが最大の自分を守る防衛になっており、人の好意で自分を守ろうとします。

本当の自分を押し殺し、自分を偽って生きていました。それは、自らが望んだ姿ではなく、自分を守るために、そうしなければ、私は生きていけなかった。だから、誰にも気づかれないように平気なふりをしたりして、無理やり笑ってしまう。

嘘の自分が受け入れられていても、毎日が常に綱渡りのような感覚で、心が休まることはありませんでした。良い人を演じているために、慕われたりすることもありますが、そこから抜け出せません。そして、その先には虚しさだけが残りました。偽りの自分でいる限り、真の心のつながりは得られないという現実を突きつけます。

正解探し(時限爆弾)

心の矢印

特性という爆弾を抱えているために、常に危険に備えなければなりません。ふとどこかで、自分の何かがばれて否定されるのでは、どこかに落とし穴があるのでは、恐怖が常につきまといます。個人差はあると思いますが、私の場合は発達障害故に「できること」と「できないこと」の差が激しいタイプでした。周囲は、「できる」ところに基準を置きます。だからこそ、より理解されず「できないこと」に対して否定されます。ばれてしまうと。水の上をギリギリ生きていました。

私の苦悩の背景には、人から愛され、認められたいという期待と、否定されることへの根源的な恐れがありました。

拒絶されるのではないかという恐怖から、自分の本当の気持ち、弱い自分、ダメな自分を隠して一番の関心事は人に受け入れられるかどうか、人に嫌われていないかどうかということになっていきました。自分の言動が誰かにどう思われるか、相手の意図や考えがよくわからない、常にざわついた不安がつきまといます。

他人の感覚や感情に振り回され、自分の選択に自信が持てなくなり、「どうすれば正解なのか」と常に正解を探し求めるようになりました。

人の評価や顔色、成功、失敗といったものに翻弄されるうちに、心の空は曇り、自分の感覚で生きれなくなってしまい、生きづらさの険路に迷い込んでいました。人生に正解などないはずなのに、私は正解を求め、「私はいったい、どこにいるのだろうか?」、「何を目指しているのだろうか?」と私の心の矢印は方位を見失っていました。

心の境界線(あなたと私)

否定される、責められる、攻撃されるといった恐怖の鎖が私の心を支配していました。人の悪意は恐怖の対象となります。他者の期待に応えないといけない。実力以上の自分をずっと見せなければいけないと自分に鞭を打つこともありました。自分に鞭を打つうちに、私の心は次第に擦り切れていきました。逃げてからどうするの?どこに行っても一緒なんじゃないの?そんな心の声に縛られ、逃げることが、できませんでした。

誰かに好かれようと自分を犠牲にしていると、いつの間にかその人が「絶対的な存在」になってしまいます。自分の価値をその人の評価にゆだね、感情を支配されてしまう。しかし、「その人は私が傷付いた時に傍にいてくれるだろうか?」という問いがありました。

そんな時、インターネットで「ゲシュタルトの祈り」という言葉に出会いました。

この言葉は、他者の期待に応えようと自分を犠牲にするのではなく、「自分は自分、あなたはあなた」という境界線を大切にすることを教えてくれました。

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。 わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。 私は私。あなたはあなた。 もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。 しかし出会えないのであれば、それも仕方のないことだ」
「ゲシュタルトの祈り」フリッツ・パールズより

ゲシュタルトの祈りに出会い、他者に無理に合わせるのではなく、そうした違いを受け入れ、「理解できなくてもいい」と少しずつ思えるようになりました。現実には分かり合えない人はいます。もしかしたら、生まれた星が違ったのかもしれません。人はそれぞれ生きる目的が違うのだから、価値感が違えば、良い悪いで判断できるものではありません。

他者がどんな態度を取ろうと、私の価値は変わらないはずだと気づきました。人の気持ちや感情はその人ではないとわからない。私は他人の感情に責任を負う必要はない、相手の感情は私ではなく、相手が対処するものだと理解しました。人によく思われるかどうかは結果であって、それを目的に生きていると生きづらくなります。

心の色は血と鉄の味がした

私と僕、こころの叫び

誰か見つけて

さまざまな要因が複雑に絡み合った結果。いつしか私の心と身体からは悲鳴がひたすら鳴り響くようになりました。心と体は悲鳴を上げ続け、やがて壊れていきました。ボロボロになった剣は折れ、そして私は心の病気を患いました。病気になる前の私は、「生とは、死とは」を意識せずに生きていました。

本来の私の心から自然と湧き上がってくる「生きたい」という気持ちと感情、もう一人の僕(心の病)から生まれる「生きることを辞めたい」という、この理不尽で救いもない気持ちと感情とが隣り合わせになりました。車と正面衝突をしたような衝撃が体にはしり、心が折れる音が。死神が、私の耳元で囁き、死が音を立てて近づいているように聞こえ耳を塞いだ。塞いでいました。

「生きる事を辞めたい」という気持ちや感情は本来の自分とは違うはずなのに、自分の感覚と錯覚してしまいます。「生きることを辞めたくない私」、「生きるのを辞めたくなる僕」。自分が自分で無くなる感覚が怖い、不安や恐怖に押しつぶされそうで、苦しくて、心の中で、「誰か助けて。私はここにいるよ、誰か見つけて。お願い…お願い、もう許して。」ずっと叫び続けていました。溺れていく中でまともに息すらできなかった。どうすることもできなかった。その苦しみは今も私の中にあります。

もう一人の僕(心の病)の声は、砂漠の中で水を求めるように、あらがっていた体を動かすほどに私を追い詰めました。私の心はとうとう狂ってしまいました。絶望の淵に立たされた私は、自ら人生を終わらせようとしました。思いがけないきっかけで、私はこの世界に踏みとどまることができました。

誰かじゃない、ただあなたに

泣いて

しかし、それでも「生きることを辞めたい」という僕の心の叫び声は消えなかった。もう一人の僕は、ナイフで何度もこころを突き刺しました。こころに突き刺さるナイフ、止まらない血と気が狂う痛み、無力感を抱えていました。明日が来る事がわからなかった。そして明日が来ることが、ただ怖かった。

心無い声しか返ってこないことへの虚しさ。「止まない雨はない」「命の大切さがわかっていない」といった、まったく心に響かない言葉の群れ。「今すぐこの雨を止めてみろよ、せめてあんたの傘をくれよ」「もう聞きたくない」「独りにしないでよ」

絶望と向き合う日々の中で、そんな私に、あなたが寄り添ってくれました。死ぬ前にあなたの声が聞きたいなとあなたに電話した、あなたは、私の苦しみを否定することも、肯定することもなく、ただありのままの気持ちを受け止めてくれました。そして、「そっか、死にたいんだ、死にたくなるんだね。」と静かに言ってくれました。その言葉に、そして受け止めてもらえたことに私の心は救われました。

私だけじゃなかったんだってほっとしたんだ。

僕の心から涙が溢れ。私の心から涙が溢れ。泣いて、泣いて、泣いていた。
もう少しだけ、向き合ってみよう、もがいてみようと、思えたのです。
あなたのおかげで明日が来るのが少しだけ、怖くなくなった。
気づいたら、息をしていた。そこが始まりでした。

心に、消えない色を、青の欠片を集めて

ありのままの青(青の歌)

白になりたかった青

生きづらさから抜け出すためには、「完全ではない、不完全な人間である自分」を許すことが必要でした。完全ではない側面があるのが問題ではなく、その側面に固執することで生きることが苦しくなりました。誰もが不完全であり、完璧な人間など存在しないし、人間は不完全であり、どんな人の心の内側にも闇があります。「人間は素晴らしい存在であり、どんな人にも良心がある」教えられていた私にはそれを受け入れるまでに少し時間がかかりました。

病気や障害を受け入れられない、このままではいけないと自己を責めてしまうこともあるかもしれません。無理に受け入れる必要はないです。ただ、その気持ちも含めて自分の中にもグラデーションという色があることを知ってほしいのです。発達障害という特性は、私自身すべてではありませんでした。それでも、それは確かに私の一部でした。

完璧で誰からも否定されない、自由な存在になりたかった。私はずっと、白に近づきたかった。
私は、「白」に近づくことを辞めることが本当は怖かった。それでも、自分自身に問いかけて、ありのままの「青」である自分を愛すと決めました。その決意を、LUNKHEADの音楽が何度も後押ししてくれました。

「僕たちは皆、本当は最初から全部を持っている」
「それは見失い、忘れてしまう それでも無くしたりはしないんだ」
「ただ、本当に、ただ本当に大事なものだけは抱えたまま」
「またゆるぎない、この揺るぎない、心のままいきていけるように」
 「LUNKHEAD 『果てしなく白に近づきたかった青CD 「青に染まる白」発売より引用

彼らの奏でる心の歌が、青い音となって私に教えてくれました。花は、自分の色を疑わない。だから、花は咲いている。今は咲けなくてもいい。それでも、そのつぼみを、どうかあなただけは、見守ってほしい。

以前の私は「青」という名の劣等感を受け入れられなかった。不完全な自分を許せなかった。自分とは違う誰かになろうとしていました。

私は、私を好きでいたい。優れているから価値があるわけじゃない。
今はそう言えます。

群青(青の欠片を集めて)

色を重ねて、色づく世界

私が求めていたのは、理想とする新しい「色」を探し、自分という「色」にすることではなく、本当の自分という「色」に戻ることでした。
本当の自分とつながること、心のままに、ありのままに、自分のために生きることでした。自分の気持ちを知るために、私は心の奥深くに潜るようになりました。

そこで、暖かい光のようなあなたに出会えた。「一緒にスキーマ療法をやりませんか??」と勧められ、そこで出会ったのがスキーマ療法という手法でした。私と向き合ってもらえたのが嬉しかった。あなたの存在とその言葉が私を突き動かす大きなきっかけになりました。

スキーマ1とは私たちが幼い頃から経験や学習を通して作り上げてきた、無意識の「心の地図」のようなものです。世界や他者、そして自分自身をどう捉えるかという基本的な信念やパターンでできています。この地図が歪んでいると、「頭ではわかっているのに、なぜかできない」という葛藤が生まれます。私自身も、頭ではわかっているのに、どうしても今の自分を肯定することができませんでした。それはスキーマという無意識の糸に操られている、操り人形のようでした。

私は、自分の無意識にある「心の地図」の存在に、なかなか気づけずにいました。しかし、意識するにつれ、その輪郭が少しずつ見え始めました。

例えば、幼少期の虐待やネグレクトを経験した場合、「自分には愛される価値がない」「幸せになる資格がない」という過酷な環境を生き延びるために身に付いたスキーマが形成されることがあります。この深い自己否定感は大人になっても持ち続けられ、たとえいいことが起こっても、心から受け入れることができません。「こんな幸せは、自分にはふさわしくない」と感じ、無意識にその幸せを壊そうとしたり、自ら遠ざけたりしてしまいます。

また、親の期待に応えなければ愛されないと経験した人は、「良い子でいなければならない」「ありのままの自分では愛されない」という評価や期待に応えようとするスキーマを抱えがちです。論理的には「自分の人生は自分で決めていい」とわかっていても、いざ意見を主張しようとすると、「誰かに嫌われるのでは」「見捨てられるのでは」という根源的な恐怖が湧き上がり、行動を阻んでしまいます。

これらのスキーマは、子どもの頃の私たちを守るために必要なものでした。しかし、大人になった今、それが私たちを生きづらくする鎖となります。私は、この「歪んだ心の地図」を書き換えるために、理想の自分ではなく、実際の自分に目を向けることから始めました。

濃青(潮騒)

スキーマ療法では、自分を苦しめているスキーマが明確になることで、生きづらさの根本的な理解が進みます。中には、自分を苦しめているスキーマの検討がついただけで、自分の思考や言動のパターンに納得し、心が軽くなる方もいます。

私の場合は、「どんな人とも努力すれば分かり合える」という教えに従ってきました。それはまるで、地図に「どんな道もまっすぐ進めば目的地に着く」と書かれているかのようでした。しかし、現実の世界には曲がりくねった道や、立ち入り禁止の場所もあって、その地図通りに進もうとするたびに、私は迷い、傷つき、引き裂かれていきました。

教えに従い、傷つきながらも人間関係を維持しようとしてきた幼い私に、そっと手を差し伸べ「あなたは一人で泣いていたんだね。自分を守るために必死だったんだね。」と語りかけました。

これまで一人で耐え、持ち堪えてきた幼い私を深く労い、当時の抑圧していた感情を認め、言語化していくことで、長年背負ってきた心の重荷を下ろすことができました。また、今までの自分に何が起こっていたのか、何が必要だったのか、どうしたかったのか、どうして欲しかったのか、などを客観的に見つめ、論理的に理解することも大切でした。

道のない場所に立ち尽くしていた幼い私と私の目の前に進むべきかもしれない新しい道が見え始めました。私達は大きな声で笑っていた。一緒に歌って、そして、手を繋いで一緒に歩きだしました。

 𝄇 Rewrite

新しい心の地図

そして、これまで自分を守る過程で身に付いたスキーマの中で生かせるもの、修正した方がいいものを見極め、修正するのなら、どのように変えていくのか、新しいスキーマを自分の中で書き換えていく必要がありました。この作業は、まるで歪んでしまった自分を、もう一度、育て直すような感覚でした。

少しずつ、自分を苦しめていた古いスキーマを特定し、新しいスキーマに書き換えていきました。

「私はなんで、他の人と同じようにできないんだろう。私は人と比べて劣っている。私はそれを受け入れられない」「不完全な存在な私を私は赦せない」「私には大きな欠陥があって、もしそれがバレたら、誰も私を受け入れくれなくなるじゃ」「私の考えや感情は抑えて、皆の期待や感情に応えなきゃ。完璧にやらなきゃ」「だってバレてしまうと、周りの人や頼れる人はいつか私のもとを去っていくかもしれないから」「何が正解なの?どこに答えがあるの?本当の私はどこにいったの?ねぇ、誰か教えて」

これまで私を縛ってきたスキーマ(「人から嫌われてはいけない」「自分の気持ちを抑え込まないといけない」「自分が何とかしないといけない」完璧にしないといけない「自分は劣っている。自分は生きる価値がない」など)を、(「私の価値は、他人の評価で決まるものではない」「自然に身を任せよう、自分の気持ちに正直に生きよう」「必要な時は人に頼ろう」「時には無理せず、肩の力を抜こう」「私は私なんだ」など)という新しいスキーマなどに、ひとつひとつ書き換えていきました。

それはまるで自分という大きな心の地図に新しい青い絵の具で古い地図の場所を地形に合うようにより深く描き直す作業でした。地図の名前のついてない場所に、名前が刻むために。

新しいスキーマに書き換えたことによって、心のレンズが調整(リフレーミング)され、レンズを通して見えていた世界に変化が生じました。物事の見方を変わったことで、私の感情や行動も良い方向に変化していきました。

スキーマを手放すことは、過去の私を捨てることではありません。忘れたくない、忘れてはいけない、悲しみ、苦しみ、痛み、それも含めて私です。かつて私を守ってくれたスキーマ(わたし)に感謝を伝え、これからは、新しいスキーマ(あなた)と共に生きています。今の私を、そして未来の私を優しく守ってくれています。

new world / はじまれ

新しいスキーマの書き換えは、一度きりではありません。新しいスキーマを定着させるために、新しいスキーマを意識し、これまで歩いてきた慣れた道ではなく、新しい道を選ぶように、日々の生活の中で何度も選択していく必要があります。もちろん完璧にうまくいく日ばかりではなく、選択に迷うこともあります。

選択を通して自分の感覚が戻り、自分の感覚を信じられ、ありのまま自分として生きることに繋がります。もしかしたら、「新しい心の地図」がうまく機能しない場面がでてくるかもしれません。その時は一度立ち止まり、新しいスキーマの修正が必要かどうか、検討する必要があります。

「本当の私」で一緒にいて、もし関係が切れてしまうのであれば仕方がない。私のことを嫌う人がいても、愛してくれる人もいる。あの人とうまくいかなくてもいい。あの人の機嫌を取る必要はない。みんなと違ってもいい。と思えるようになりました。この変化の背景には、スキーマ療法があったと感じています。

新しいスキーマが定着し、他人を恐れず自分を信じられるようになると、人間関係の捉え方も変わっていきました。また、スキーマ療法は、完璧な地図を手に入れることではなく、私自身が自分の地図を書き換えられる力を得たことに気づきました。そして今、手にした新しい地図で私の道を選び始めます。

心と心の境界線

シンクロニティー/音色

私は、自分自身を守るために、無意識のうちに心に「透明」な壁を築きました。一人で生きていけると思ってた。でも、私は一人じゃ生きられなかった。「誰かに会いたかった。でも、同時に誰にも会いたくなかった。」それは、自分を保つための大切な青い境界線であると同時に、他人との繋がりを遮断するものでもありました。

だけど、傷つくことを覚悟であなたと向き合うことを選びました。相手のすべてを知れるわけではなく、すれ違ったり、ぶつかったり、傷つけたり、傷つくこともあります。それでも、時には引力のように惹かれ合います。あなたという赤い境界線と私という青い境界線がシンクロし、その先に心と心が溶け合う瞬間があることを知りました。自分の存在を肯定されることで本当の自分を受け入れられた。そこからあなたをさらに受け入れることができた。目には見えない、でもそれが、本当のつながりなのだと私は感じます。

人間関係は相互的なものであり、ありのまま自分として生きること、相手に寄り添うことは、必ずしも矛盾するものではないと思います。時に人は一人では生きていけないから共に支え合います。

お互いを尊重し合える人と出会い、その関係がより深まれば、あなたの「色」と相手の「色」が混ざり合って、想像もしていなかった新しい「色」を生み出します。

音と音とが色と色とが重なり合って、より美しい「音色」になります。
いつか知らない誰かと。

you belong to you

この世界は罰も当たらない、グーの音もでない、インチキ、嘘つき達で溢れています。あなたを自分の思うように支配しようとする人、傷つけようとする人、呪いの言葉を投げかけてくる、悪意のある人にまで、思いやりを示さなくてもいい。理由なんていらない。悪意はクシャクシャに破いてゴミ箱に捨ててください。

心地よい距離感は人それぞれ違います。相手を知ることで、相手の事やお互いの心地の良い距離感が分かって来たり、相手の違う側面(良いところも悪いところも)も見えて来るかもしれません。その時に、相手を許せるのか、それでも共に歩みたいと思うのか。

もし、相手の機嫌を取ろうとしたり、相手に無理に合わせようとして、しんどくなっているのなら、それは、あなたのせいではなく、生きる目的が違うのかもしれません。

皆、自分とは違う好きな「色」を持っています。それは、ある人にとっては憧れの対象(推し)かもしれませんし、特定の人、キャラクター、景色、趣味、あるいは特定の音楽や生き方かもしれません。だからこそ、自分の感情を否定したり、自分を責めりしないでください。心から湧き上がる感情を大切にして、あなた自身の心で好きな「色」を見つけ、それを信じてください。

はじめまして、ただいま

私は私なんだ

スキーマ療法を通して「感情的な鎧を身に着ける」感覚を覚えました。誰かの些細な言葉や言動に大きく傷つき痛みを感じていたのが、その痛みが格段に減りました。今まで大量の言葉の矢が降ってきていたとしたら、鎧のおかげで、その言葉の矢を受け流せるようになり、傷を受けることも少しずつ減ったように思います。

自分の心を守るために、自分の「スキーマ」で自分を守ることが大切です。

自分の感覚に従い、その一瞬一瞬を生きることが、やがて生きづらさという道から抜け出し、「本当の自分として生きる自由」を手にする道につながっていきました。

スキーマという考え方との出会いは、私を縛っていた鎖をほどき、自身にかかっていた呪いを解くきっかけとなりました。沈んでいた私のこころが目を覚まし、自己を再構築した先に待っていたのは、本当の自分として生きる自由でした。それは、ただ与えられるものでもありません。それは、自らの手で勝ち取り、今日をそして明日を守るものです。

「本当の私」と繋がったとき、誰かの目を気にする必要がなくなり、心には静けさが訪れ、穏やかに過ごせる日が増えていきました。「私は私なんだ、自由でいいんだ、自分を愛そう」と素直に思えるようになりました。

私は、「青」なんだ。私は私の中の「青」の世界に飛び込こみました。心臓が鼓動するたびに、青い血が全身を巡り、命という「青い」炎が燃え、それと同時に空や海が「青」を取り戻しました。「青」く澄んだ日々は、いつの間にか「青」の匂いがして「青」の季節になっていました。無色透明だと思っていたただの水が透き通って美しかった。

もちろん、障害が無くなったわけでも、病気が無くなったわけでもありません。彼らとも、これからも付き合っていかなければいきません。「もう一人の僕」の声は薄れながらも、時に突然、意味もなく大きく響くこともあります。それでもなお、私の中には、生きようとする「青い」声が響いています。それはもう二度と誰にも奪うことのできない「色」です。

「死にたい」の対極は死にたいと思う回数が減ることでも、「生きたい」でもなく、「生きる、死ぬを意識せずに過ごせること」生き続けていくこと、色々な困難がある中でも色々な人と時間を過ごしている内にいつかわからないけど、いつの間にか死ぬことを考えなくなった。それが私の夢です。そんな日が続いたらいいなと思っています。 

本当の自分として生きる自由

心の羅針盤

あなただけの自由

心の羅針盤、その針は、私が本当に生きたいと願う場所を、静かに指していました。

最終的に気づいたのは、誰かのためだけでなく、自分のために生きることで、本当に大切な「あなた」のために生きる道が拓けるということでした。誰かが決めた正しさではなく、拒絶を恐れず、自分の感覚のままに生きて、それを自由に表現できた時、自由を感じられました。そして、生きづらさも少しずつ和らいでいきました。

自由とは、「心の羅針盤が指し示す場所を信じること。そして願い、行動すること」。自由とは、「違いを受け入れられ、判断されることなく、お互いを尊重し合うこと」。自分を守れるのは自分だけです。

人間関係に悩むと他人を変えることは難しいから、「自分を変えようと」と自分を変える必要性を考えますが、他人の目を気にして自分を変えることで本来の自分を見失ってしまうことほどつらいことはないと思います。

もちろん心のありかたとして見方やとらえ方を変えることも時には必要ですが、やはりしんどいものはどう考えてもしんどいものです。

否定される関係が続く場合、居場所を変えてみるのはどうでしょう。すぐには難しい、居場所を変えるのは現実的に難しい場合は、第三の場所を見つけていくことも必要だと感じます。また、尊重してもらうために話し合うことも時には必要でしょう。どの道を選んでも、その結果に「これが私の選んだ道だ」と受け入れることで、私たちは本当の意味で自由になれるのではないでしょうか。

自分のいる世界だけがすべてだと信じていると、やがて生きづらさに直面することがあります。しかし、どんな自分も受け入れ、自分のために生きる。私はこの道を選びました。生きづらさからの抜け道は、一人ひとり違います。

答えは、もしかしたらあなた自身の内側にすでにあるかもしれません。あるいは、私のように、別の誰かとの「つながり」の中に見つかるのかもしれません。自分から逃げてもいい、嘆いてもいい、それが答えになることもあります。何もしなくていい、何とかしなくてもいい、何も変わらなくていい、そこにいてくれるだけでいい。あなたは必死に生きている。大切なのは、信頼できる人やあなた自身の心が安らぐ場所を見つけることだと思っています。

誰かじゃない、ただあなたへ

祝祭

あなたに、初めてお会いした時、なぜか初めてではないような親近感と、ホッとするような安心感を抱きました。あなたは、苦しみの中にいた私は、偽りのない自分を受け入れられていると感じることができて「今の自分でいいんだ」と思えました。人を信じることに怯えていた私もいつの間にか少しずつ、あなたの温かい光のような優しさに触れて心の傷が癒えていることに気づきました。いまは人を信じることができます。

ただ場所があればいいわけじゃない。
誰でもいいわけじゃない。
あの時、あなたに出会えたからこそ、今の私があります。
あなたが明日も笑えていますように。あなたがずっと幸せでありますように。
ただ、ありがとう

あなたはあなただけ

あなたのまま こころのままに

つらいことや悲しいこと、うまくいかないとき、どうしようもなく立ち止まってしまうような時、現実を解決するのが難しくても、安心して相談できる人、親身になって話を聴いてくれる人、自由に過ごせる場所があるだけで、心は大きく変わると信じています。

孤独な道のりではないことを忘れないでください。手を差し伸べ、つながり、他の人に頼っても大丈夫だと知ってください。知識、理解、そして自分を助ける方法があれば、困難に立ち向かえます。

明日は見えません。先の事もわかりません。不安や迷い、悲しみという雨が突然降り注ぐ。そんな日々、心と体は絶えず揺れ動き、それでも人生は続いていきます。あなたはあなた自身にしかなれない。多分、あなたは綺麗すぎる。他人のようにはなれない。だからこそ、今この瞬間のあなたが、あなたの気持ちを大切にしてほしいのです。悲しい時は悲しいって泣いて欲しい、嬉しい時は嬉しいって笑って欲しい。それも含めてあなただから。

優しくしたい人はいますか?

あなたは
今、何を感じてますか?

今、誰と一緒にいたいですか?

あなたの願いはなんですか?

あなたの
「色」は、何「色」ですか?

心のままに、感じているままに、ありのままのあなたでいられるように。

無理しないで。どうかあなたの心が少しでも休まりますように。

いま苦しみと絶望の中にいるあなた
どれだけの夜を超えてきたのか 
生きていることが辛いなら
息をすることに疲れたなら
ただ、泣いていいよ
泣いて 泣いて 泣き足りないくらい
泣いて 泣いて 泣き叫んで
泣いて 泣いて 涙かれるまで
その涙が、あなたの痛みや苦しみを少しでも洗い流してくれるように
そしてどうか、眠るまで、 おやすみ


新しい私

あなたはわたし わたしはあなた

私を守ってくれていた この胸に秘めた
もう一人のわたし
消えることのない あの日の悲しみ 苦しみ 痛み
未来の私を優しく守ってくれる
もう一人のあなた
あなたはわたし わたしはあなた
ありがとう おやすみ また会う日まで 
今日の日はさよなら 新しい私に


青い花束

完璧な「白」が、自分を救ってくれると信じていました。私が理想とする「自己」の姿をあなたに見出していました。あなたという存在を通して、理想の自分を受け入れたかった。

「私は欠けていると思っていた。でも、あなたという存在が、私を救ってくれた。宝物を贈ってくれた。」それだけじゃなかった、「宝物は、私の内側にも確かにありました。私はそれに気づく準備が少しずつできていたんだと思います。あなたは、その力を引き出してくれた。あなたは私自身を映し出す『鏡』でした。

宝物は、最初から私の内側(心の羅針盤)にありました。この旅は、宝物を手に入れるためだけではなく、宝物がどこにあるかを発見するための旅でもありました。

私の旅は、あなたという光を通して、私自身を見つけました。

あなたがいて、私がいる。だから今、私たちは出会えました。

あとがき

この物語の多くのあなたから貰った花束をあなたに届けたいと願い手紙を書きました。そして、この物語を最後まで読んでくださり、心から感謝しています。

この物語は、私の個人的な旅の記録に過ぎません。でも、本当は、ここからが始まりなのだと思います。 あなたの物語を、聴かせてください。あなたの歌声を聴かせて。

そして、どうか忘れないでください。この物語は、ただ一人の人間の道筋の記録です。あなたの道は、あなたの色と同じように、他の誰とも比べられるものではありません。どうか、焦らず、あなた自身のペースで、ゆっくりと歩みを進めてください。

あなたの「色」は、誰にも奪えない、あなただけの大切な「色」です。あなたに合う生きづらさに対する道が見つかりますように。

1補足:スキーマ療法について

スキーマ療法は、心の深い部分にある「生きづらさ」の根本原因に働きかける心理療法です。アメリカの心理学者ヤングが、認知行動療法では届かない深いレベルの苦しみを解消するために考案しました。

  • スキーマとは、幼い頃の経験から無意識のうちに作られた「心の地図」のようなものです。この地図が歪んでいると、「頭では分かっているのに、なぜかうまくいかない」という葛藤が生まれます。
  • スキーマ療法は、この「歪んだ心の地図」を書き換えることで、心の傷や慢性的な生きづらさを和らげることを目指します。特に、パーソナリティ障害やトラウマといった、従来の治療法では改善が難しい症状にも効果が期待できます。


※注意喚起 

このブログ記事で紹介しているスキーマ療法は、過去の辛い体験と向き合うため、心が大きく揺れ動き、感情が溢れ出すことがあります。過去を思い出し涙したり、怒りを感じたりと、精神的に大きな負担を感じることがあります。事前にいくつかの注意点を理解しておくことが重要です。

スキーマを変えるという選択は、必ずしもすべての人にとって最良の道ではありません。(この記事を読んだからといって、スキーマ療法を試す必要はありません。)スキーマを変えずに人生を過ごす人はたくさんいます。スキーマを変えることは、新しい道を探す旅のようなものです。でも、誰もが旅に出る準備ができているわけではありません。今の場所にとどまる方が、旅の不安よりも心が安らぐ人もいらっしゃいます。スキーマは専門的な治療だけでなく、誰かと心を通わせて話すことや、一冊の本との出会い、日々の小さな気づきをブログや日記で表現することなどよっても、ゆっくりと優しく変わっていくことがあります

また、スキーマ療法は、すべての人に効果があるわけではありません。すべての人の生きづらさを解決する魔法でもありません。短期間で効果が出るとも限りません。ですが、これは自身の心の地図を理解し、新しい道を切り拓くための羅針盤となります。もし、旅に出る際は、信頼できる旅のガイド(専門家)と共に歩むことをお勧めします。

  • 専門家への相談を第一に: スキーマ療法はとても強力な心理療法ですが、すべての病院やカウンセリングルームで受けられる標準的な治療法(主流)ではありません。その専門性の高さから、現在もこの療法を実践できる専門家は限られています。

    すべてのトラウマや精神疾患に適用できるわけではありません。過去の強烈なトラウマや精神的な不安定さを抱えている方、解離症状を伴う方は、自己判断で実践することは心の状態を悪化させる危険を伴います。必ず、信頼できる専門家(臨床心理士や精神科医など)に相談することを強く推奨します。
  • 心の安全対策: 心が辛くなった時に自分を落ち着かせることができるコーピング(ストレス緩和)方法をいくつか用意しておきましょう。
  • マインドフルネスの注意点: 過去のトラウマ体験が強烈な場合、マインドフルネスがかえってフラッシュバックや感情の過剰反応を引き起こす可能性があります。心の準備ができていない段階で、過去に意識が向きやすいマインドフルネスを行うことは専門家の指導なしに避けたほうがよいでしょう。

    強いトラウマやPTSDがある場合は、マインドフルネスを始める前に、必ずトラウマ治療の知識を持つ医師や心理士に相談し、指導と監督のもと行うべきです。

スキーマ療法の中で、今回触れられなかった内容があります。

基本的なスキーマ療法の4つの概念について解説しています。
「スキーマ療法」(感情的ニーズ、不適応スキーマ、不適応対処スタイル、スキーマ モード)②



※全体を通して、これはあくまで私個人的な考えや体験であり、生きづらさに対する感じ方、道は人それぞれ異なります。

参考書籍・参考ページ
スキーマ療法|Psychology Today 様
スキーマ療法: 主要な概念と実際の応用|BAY AREA CBT CENTER様
沖縄 心理カウンセリング~潜在意識紀行|心理カウンセリング波詩、加藤詩子様
スキーマ療法の知識、概念、起源、定義など視点を変えて再度学習|メンタルケア研究室様
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 1 生きづらさを理解し、こころの回復力を取り戻そう
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 2 生きづらさを理解し、こころの回復力を取り戻そう 
著作権の明記:

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  • 「筆者:[MK](自助グループ『うつカフェ こころ』代表)」

転載・引用

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