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こころのバランスをとる。 誰かが決めた方法論や技法の中に救いや正解はない、答えは自身の中に

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どんな苦しいことがあっても、前向きになれるようになりたい…どうにかして今の自分を変えたい…

人間は生身だから、ロボットのようにはなれません。傷つけられたら血が出るし、涙や怒りは出て当然です。

傷ついているのに、血が出ないようになりたい、どれだけ酷いことをされてもポジティブで居たい、それ自体が難しいことではないでしょうか。そりゃ、そんなことがあれば、そうなっても仕方ないよね…ということがあると思います。

それより、痛い!と大声で言えたり、止めて欲しいと怒ったり、傷ついたと大泣きしたり、そういうことが我慢せずにできて初めて、前向きになれます。

人は自分の感覚のままに生きて、それをうまく表現できてようやくバランスが取れます。人間やはりどこかでバランスを取る必要があります。嫌なことを我慢し続けたり、やりたくないことをやらされていると段々バランスが悪くなっていきます自分の感覚を封じ込めて我慢ばかりして、普段の自分の思いを隠していればいるほど、ふとした拍子にダムが決壊してしまいます。人はどこかでバランスを取るために、記憶を失うまでお酒を飲んでしまう、大泣きしまう、買い物に走って大金を使いこんでしまったり、ギャンブルに走ったり…我慢が限界に来ているサインです。人は停滞したエネルギーの発露をどこかで求めています。

養育環境の中で、自分の欲求より親や周囲の欲求を優先せざるを得なかった場合、本来の自分は一体何を求めていたのか、どうしたいのかがわからなくなります。そのままの自分では愛されない、受け入れてもらえないと思っているから、“いい人”で居る、役に立つ人で居ようとしてしまう。本当の自分を生きられないこと、自分を偽って生きること…望んでそうする人は居ません。そうしないとサバイブできなかったから、そうなってしまうのです。無理に自分を変えて来たから苦しいのです。もうこれ以上、自分を偽れないから限界が来ています。幼い頃は小さくて無力であるから、サバイブするにはそうしないと生き残れなかったわけですが、大人になってもこれが癖づいてしまうと、どこかで無理が来ます。自分独りがそこから生き抜くにはそれで良かった。だが奥底の自分は、実は悲鳴を上げていたことを封じ込めていたという場合もあります。

生きづらさを感じている人はその人が生きている場所や世界に適応できない、何らかの事情でその場所にそぐえない時、無理が出て来て精神的に追い詰められています。また、その人の持っている本来の資質と、親や環境がその人に求めてきたもの、それにより矯正されたもの、その矯正されたスキル自体が、本来のこの人とは適合していないということもあります。現在の自分というのは、与えられた環境の中でサバイブするために矯正、適応させた自分であって、その自分で居て楽なのなら、それが自分なのかもしれませんが、苦しいのだとしたら、きっとそれは本当の自分ではないはずです。でも色々な影響からリミッターがかかってしまい、本当はどうすることを自分は求めているのかをわからなくなっています。ジャッジされるのを恐れ、自由に表現できなくなる。気づけば自分の基準でなく、誰かの基準で生きさせられ、自分のためでなくわからない何かのために必死もがいている。この状態が続くと、何のために生きるのかわからなくなり意欲が湧かなくなります。

前向きになれない時、過去なんて忘れて前だけを向いて生きていくべき…それは正論ですが、過去について整理ができていないと、実際には前だけを向いて生きて行くのは難しいです。
考え方を変えましょう…と言われても、その考え方はどうしてできたのか…、本当に自分の望む考え方なのか…本来の自分につながっていない状態で、いくらポジティブな考え方を習っても、自己否定の上にそのポジティブな考え方を実践しようとしているので、ただの真似事の“ハウツー”でしかなくなります。ネガティブな考え方になったのは、自身の弱さや物の考え方の偏りのせいではなく、周囲の誰かからの影響が関係しています。周囲から言われて来た呪縛は、いつまでも鎖のようにその人に絡みついています。

自分はどんな人のどんな都合によってどんな立場で居ることを求められていたのか、それによってどんな役どころを演じさせられていたのか。色々な場所と環境の中で色々な人達と会って、色々なことを言われ求められて来て、そこでどうにか生きていくために素直に要請に従って来た、嫌われないために無理して自分自身を修正してきたが、それ自体も本来の自分から乖離している。今自分が生き辛さを感じているのは、その役割と本来の自分が求めることとの間に乖離が生じていること、そこで生き延びるために、愛されるために身に付いてしまったものに気づくことが必要です。

“これをこうやったら幸せになれる、成功できる”というようなものがあって、その方法論の通りにやれば、皆こんな風に救われる…のような謳い文句があります。実際にはそんなハウツーでどうにかなる話ではないと感じます。でもきっと、それで楽にはならなくても、それを実践しようとしているその時間やそんな自分に満足している面はあるかもしれません。誰か素晴らしい指導者が居て、その人の言う通りに付いていけば、約束された回復や成功が必ずある‥わけではありません。それはその指導者の体験と感覚だからです。約束された幸せや安心など本当にあるのでしょうか。誰かが決めた方法論や技法の中に救いや正解がある…と錯覚しがちですが、実際には、答えはその人の中にしかないと私は感じています。 誰かが良しと決めた価値観の中で、それをなぞるように生きようとしているだけで、それは自分の感覚ではありません。

前に進むためには、本来の自分に気づき、戻ること、自分が本当に心からしたいことは何なのか について向き合う必要があります。社会が求める“普通”の枠組みに収まり切れなくても、自分を好きでいられること、いついかなる時も、自分の中に心が収まっていること、自分を大切にすることが重要です。不完全な自分でいい、どんな自分であっても何をしていても、今の自分でいいんだ、自分の価値は変わらない。自分を信じると同時に、逃げることができず、独りで頑張って耐えて来たその時の自分を労い、救い出してあげる必要があります。自分の感情を正当に表現できて、そんな自分を受け入れることができ、それを表現しても否定されないという体験を通して、初めて前を向いて自分のために歩いて行けます。人生には様々な岐路があり、これまでの生き方では無理が出て、どうにも前へ進めない時が出てきたりします。それが再生のチャンスです。 誰の影響からも自由になった、自分の感覚だけを信じて生きれたら、それが回復への道です。

参考ページ沖縄 心理カウンセリング~潜在意識紀行|心理カウンセリング波詩、加藤詩子様のHPを参考に作成しています。