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こころは気持ちを探している。気持ちは言葉を探している。

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こんにちは スタッフのダイです。初めてのブログ投稿です。

怒られたくない、嫌われたくない残念そうな顔をされると胸をキュッと掴まれたように苦しい。そういう気持ちが強すぎて、家族や友達から何気なく言われた嫌だった言葉も、笑ってごまかしたり、笑いに変えてその場をやり過ごしたり見ないふりをしたり…

「相手の気持ちになって考える」ということを何度も教えられ、自分でも強く意識することで、周りが感じている自分と、自分が感じている自分の距離がどんどん離れていってしまう。その距離が離れていくこと、自分が傷つくことに限界が来ると自分の心を薄めたり、引き出しにしまうようになる。そしてその引き出しがしまわれると同時に別の引き出しが、そっと開く(体の引き出しは、よく設えてあるなあと思う)それは、人の顔色をうかがう力が入っている引き出し。人の顔色をうかがうという行動は、他人の反応や感情に敏感になることで自分を守るひとつの防衛機能のようなもの。その機能は自分を守るのと引き換えに、自分に向けられた嫌な言葉や感情を凍らせ、そっと引き出しにしまう。怒られるのと引き換えに自分の気持ちも凍らせてもしまう。

そして、その機能が身についてくると手放せなくなってくる(今も手放せてはないが、私の場合は、時間の経過で薄れていくこともあるし、ありがたいことに友人に恵まれていたので、つらさを楽しさで覆うようにして過ごすこともできている)

誰でも、自分の心がもちろんあって、その心とぴったりとあう気持ちを探しているのだと思う。例えば家族や友人との関係の中で、私たちはやさしさや、時には怒りを感じる。その心は私たちが他人との関係を接着剤やクッション材のように深めたり離したり、変化させるために必要なものかもしれない。人は他人との関係のなかで、思いやりや優しさを育み、信頼を築くこともできる。

また、嫉妬や怒りを感じることで、自分自身の未熟さや不安を認識し、成長の機会を見つけることもできるかもしれない。

その時の心は気持ちを求めてさまよっているのかも。

・私の社会人経験

私はもともと、福祉とは全く縁のない生活を送ってきました。通っていた大学も福祉関係ではありません、はじめての就職先も金融関係の営業でした。

大学を卒業して初めての社会経験だったこともあり、

ここでは詳しくお伝えできませんが、新人研修もそれはもう大変な思いをしましたし、その研修が、「これが仕事をするということだ」「社会とはこういうものなんだ」という気持ちが強化されることにもなったのだと思います。

配属後は、上司に言われるがままに飛び込み営業などを繰り返していました。常に競争させられ、やる気よりも結果、結果が伴えば一時期は優遇される、できる能力だけでそのひとのすべてが測られるような、そんな職場で初めての社会経験を送りました。ただ、いつだったか、ある上司から言われてうれしくて心に残っていることがあります。

それは、「お前のお客さんは相場や利益のことよりもお前を買ってくれている人がほとんどだ。そういうお客さんは、すぐに取引をやめたりしない」

「取引をすぐにやめる人がダメなわけではないが、自分たちは長くお付き合いしてくれる人をどう見つけるかがとても大切なんだ」

「お前はそういう方たちから好かれる素質を持っている」

今思うと、これは上司の常套句かもしれません。なにせ、上司も営業マンでしたから

でも、うれしかった。その一言がずいぶん励みになり原動力になって仕事を続けるパワーになりました。

ただ、一方そういう嬉しさもあると同時につらくもありました。

それは、そう思ってお客さんになってくれた方たちが少しでも損益を出してしまうことがとても怖かったのです。

それでもお給料をいただいていますので、その矛盾に葛藤しながら仕事を続けていました。ただ、もう最後のほうは、とても感じの良い方だと、「どうかお客さんになりませんように…」と矛盾した思いを抱えながら仕事をしていました。

余談ですが、当時は「仕事は3年以内にやめるようでは人としてダメ」という何の根拠もないパワーワードにも結構引きずられていました。

あぁもうこれ以上仕事を続けることは会社にもお客さんにも悪い、と思い自分自身も苦しいと思い、思い切って上司に「辞めます」と相談しても、のらりくらりとなかなかやめさせてくれません。次第に仕事に行くのも辛く、朝を迎えるのが怖くて眠りたくない、どこか病院にかかっていたらうつ病と診断されていたのではないかと思います。相談してもダメ、こうなったらもう逃げるしかない、と決心してからは、綿密に毎日夜逃げの計画を立て、気づかれないように少しずつ準備をしました。そして、決行当日、今にもパンクしそうな心を何とかなだめて寮を後にしました…

・何もしないという支え

最近は昨日のこともパッと思い出せませんが、その当時のことは今でもよく覚えています。友人に相談しても「全然大丈夫!大丈夫!俺なんか、もっとやばいところで仕事してて…」「そりゃその会社がよくないよ、お前は何も悪くないと思うよ」「そういうところと縁が切れてよかったじゃん」いろいろ、友人や先輩から励ましてもらえてうれしかったけど、なかなか素直に受け取れなかった。ありがたかったのは、寮を飛び出して夜逃げした自分に何も聞かず「好きなだけ居たらいい」と言ってくれ、居候させてくれた先輩。実家に帰った時も、ただ「おかえり」と迎えてくれ、何も聞かずにいてくれた両親。

励ましてくれた友人や先輩も含めて、改めてみんなに温かく支えてもらっていたのだと思います。そしてその経験があったから、少しずつ自分で考える時間を持つことができ、少しずつエネルギーをためて行動できるようになったのかもしれません。

何十年も前の感情や、引き出しにそっとしまっていたはずの傷や痛みが、ほんの些細なことや他者からの一言がきっかけで、そのひと自身が自分の手でそっと引き出しを開け、言葉にしてはじめてからだの外に出せた時、そのひとは自分のきもちと新たに出会う。知っていたけど、初めまして。

ただ、いざ言葉にしてみると、思っていたことと微妙に違う感覚もあって、うまくつたえることができないなぁという経験もたくさんしました。それは、やはり、いいひとに思われたくて、こころにもないことを言うクセ、相手はこう言ってほしいんだろうなぁ、と何となく分かる(気がする)ので喜んでもらえると思い、自分より相手や世間を優先しようとする習慣が染みついてしまっていた。きもちが自分の言葉と重ならない。

私の場合は、「しんどい、苦しい」ということを言葉にするのはよくないと思って生活していたので、「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫、大丈夫」「きついんじゃない?」「全然、全然」ずっとそれでやってきたし、そうやってこの先も行くんだろうなと思ってました。

ただ、ある時、自分の中で、その気持ちがふっと軽くなった時がありました。

それは、大丈夫?と聞かれいつものように大丈夫と返したときに、「…いや全然大丈夫じゃないでしょ、バレバレですよ」そう言われた時でした。「えっ!?バレてんの?」って。

ただ、そこから私は180度変わりました!とまではいかないけど(今でもちょいちょい強がってしまいます)

でも、180度ではなくても、10度でも20度でも何か変ったという実感はあります。

背伸びし過ぎず、今の自分に合う、近い言葉を見つけることが自分自身を変えていく大切なきっかけになるんだと、自分の体を通して感じます。過去の出来事や今の気持ち、これからの未来に向けてどのように変化していくのだろうと不安もありますが、それ以上に楽しみでもあります。

タイトルを考えたときに、言葉を発したり、思い浮かべたり人はする。それはどこからやってくるのだろうと考えると、気持ちに至る。じゃあその気持ちはどこからやってきたんだろうと考えると心に行きつく。そして、その思考を言葉で考えている。

つながりつづけ、変わり続けている。