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「死にたい」の対極は「生きる、死ぬを意識せずに過ごせること」

猫 ブログ

病気になる前の自分は、「生とは、死とは」など意識せずに生きていました。抗えないような強い力に押され、死ぬしかないと発作的になる瞬間があります。死にたい衝動が突然やってきて、自分でもどうにも止められないんです。突然、自殺衝動が来る、自分が自分でなくなる感覚が怖い、死にたくない、生きたいのです。

苦しさや不安には客観的な尺度はありません。悲しいけれど同じ苦しみを経験することはできない、本人にしかわからない、わかることはできないと私は思っています。自分が経験したことがないことへの理解ほど難しいことはないのではないでしょうか。
過去の自分の思いを今の状態で完璧に再現する(わかる)ことはできるでしょうか。それをするにはタイムマシーンでその時、その環境、その精神状態に戻らないかぎり、その時の本当の気持ちがわかるとは言えないのではと思います。自分の気持ちですらわからないことがあるのだから、人の気持ちを分かることはできないと思っています。誤解を恐れずに言うと人と人とは分かり合えない。だからこそ、言葉で想いを伝え合うことが大切だと感じます。

ただ、わからないから無理とは言いたくありません。相手の話を聴き、もしかしてこうゆうことなのかなとその時の気持ちを想像したり、こういう思いだったのかなと思いを馳せることはできると思っています。そうありたい、気持ちや思いを分かち合いたいのです。

ほんとうにごめんなさい、正直、きっとあなたと同じようにわかることはできません。あなたの話を聴かせて頂いて一緒に考えたり、悩んだり、悲しんだり、落ち込んだり、喜んだり、これくらいしか私にはできません。大切なことは人を集めることではなく、会に来られた方のそれぞれの思いを、尊重し、大切にしてゆっくりとお話を聴くこと。伝えたい想いに共感する人が一人でもいれば、人数は問題ではない思っています。そして自分の心の備えをすること、覚悟を持って臨むこと、人間のやることには限界があることを忘れないこと。

死にたい気持ちを抱えた時、周囲に心配をかけまい、とひとりで抱え込んでしまうことがあります。死にたい気持ちを繰り返し反芻する中で、こころの中は、破裂してしまうほど苦しくなります。苦しみを持つ人同士が、辛さを安心して吐き出せる場 リアルでもネットでもいい、苦しさを分かち合って一人ではないと思えること 安心して「苦しい」と吐き出せる場所や相手が必要です。『苦しい気持ちをあなた(ここ)だから、言えた』という場所が求められています。社会の規範や常識に囚われることなく、今あなたが感じているそのままの気持ち、 苦しさ、辛さ、弱さ、悲しみ、恐怖、不安、怒り、憎しみ、後悔、恨み、劣等感、喜び、驚き…等を安心して気持ちを吐き出せる場でありたい思っています。

「死にたい」の対極は死にたいと思う回数が減ることでも、『生きたい』でもなく、「生きる、死ぬを意識せずに過ごせること」生き続けていくこと、色々な困りごとを色々な人に相談している内にいつかわからないけど、何か死ぬことを考えなくなった。そんな日が続いたらいいなと思っています。